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補助犬の理解を深めるための活動コラボ

なぜ、かごねこが『補助犬の理解を深めるための活動コラボ』をすることになったのか?

それは、かごねこの代表が、聴導犬ユーザーさんと共に、2015年から補助犬の普及活動を行ってきていることと同時に、
鹿児島全体が、障害について理解し、思いやることができる街となれば、
人に優しい街は、猫たちにも優しい街にもなるはず・・・
障害のある猫たちへも手を差し伸べてもらえるようになるはず・・・
そう考えたからです。

聴導犬ユーザーである安藤美紀さん。
1969年鹿児島県いちき串木野市で生まれ。

まったく耳が聞こえない、言葉が話せないことが判明し、
言葉の訓練のために2歳のときに、鹿児島に引っ越しました。

当時、障がい者への差別がひどく、
そんな中、恩師から言葉が話せるように懸命に教えてもらったのでした。

鹿児島聾学校の幼稚部と幼稚園と両立しながら通い、
その後は小学校に通うことになりましたが、
それからも恩師は心配し、家まで訪問してくれていたのだそう。

「聞こえなくとも将来大人になったら誇れるような社会人になってほしい」
と恩師はいつもそんな気持ちで頑張っていて、
そこまで思いやる熱心な先生はいないと、美紀さんの脳裏に残っていたようです。

大阪で聴覚障がい児の学ぶ場を設けるために、NPO法人MAMIEを設立。

​恩師の姿を追うように自分も生徒に指導するようになったこともあり、
また講演をするたびに、
「講演ができるのも恩師のおかげ」と思っていたこともあって、
​恩師に再会しお礼を言いたいとずっと探し続けていたそうです。

かごねこの代表でもあり、鹿児島補助犬普及プロジェクトの代表でもある濱崎菜央。
1977年鹿児島市で、聾学校の先生である両親の元に生まれました。
両親の仕事の関係で、聾学校の教え子さんやご家族の方との遠足などのイベントに小さい頃から一緒に参加していました。

小さい頃にはわからなかったけれど、
物心がつく頃になったときに、父の仕事に対する熱心さに気がつくこととなります。

小さいころから「獣医さんになる!」と決めていたので、
父のことを尊敬しサポートしたいと思っていましたが、
同じ職につくことはありませんでした。

獣医学科に入学後しばらくした頃、父母から『聴導犬』の存在を教えてもらい、
「自分は父と異なる仕事につくけれど、聴導犬という存在が父と私を繋いでくれる存在なのかもしれない」
​と思い、いつか聴導犬に関わることをしたいと願っていた部分もありました。

聴導犬ユーザーの美紀さんは、恩師を探そうとインターネットで検索するも、なかなかヒットすることなく過ごす毎日。

そんな中、『恩師の娘さんが鹿児島で動物病院をはじめた』ということを耳にし、
​そうかもしれないと思われる動物病院を見つけ、美紀さんは勇気を振り絞ってメールをすることに。

『人間違いだったらすみません。
 おそらく、お父様が私を育てて下さった恩師である浜崎先生と思われます。』

聴覚障害児に対し、発音・発声練習を繰り返し教え、きちんと話ができるように厳しくしていた父。

その厳しさの裏側には、『聞こえなくても、自分に誇りをもって生きてほしい』という思い・愛情があったのだと思うのですが、
​小学生の子には、きっとその裏側までは伝わらず、『厳しい先生』としか映っていないのでは・・・と思っていたのでした。

美紀さんからのメールをもらい、
ただ厳しいだけでなく、その裏側の思い・愛情を理解し
大人になっても覚えていて、こんなふうに探してくれる教え子さんがいるんだ。
​父の苦労が報われた!と思いました。

そう思うと、自分のことのように嬉しくて涙が溢れてきて、
それと同時に、父のことを今まで以上に尊敬したのでした。

元々『鹿児島は、犬と共に遊びに行けるところが少なく、不自由だな』と感じることが多かったのですが、
美紀さんと一緒に出かけるようになって、
聴導犬であっても、どこにでも行けないということを知ることになるのです。​
(補助犬法という法律により、いかなる場所であっても、補助犬の同伴受け入れが義務付けられているのです)

そこで、2015年から聴導犬ユーザーである美紀さんと共に、鹿児島で補助犬の普及活動をすることとなったのです。

かごねことして活動する中で、体が不自由な子に出会うこともしばしば。

かごねこのグッズにもなっている、顔面片麻痺の喜八と2本足の親兵衛。
体が不自由であっても、決して消極的になることはなく、
他の子達と同じように行動しようと前向きにトライし続ける姿に、いつも勇気をもらっています。
そして同時に、自分が不自由であっても、相手を思いやる気持ちを忘れない彼らを見ると、
私たち人間は、彼らを見習わなければならないとも思うのです。

人間同士であっても、障害を理解し、思いやることができないのであれば、
きっと猫たちが幸せに暮らせるようにはできない・・・とも考えるのです。

障害と向き合って生きること。
それを理解して、思いやること。
すべての人、すべての犬猫に優しい街となること。

それは、鹿児島補助犬普及プロジェクトとしても、かごねことしても、願いは同じなのです。